父のお通夜を執り行いました

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正直、何の知識も無いので、地元の人が言う通りにやるしかありません。
昨日、葬儀屋さんと菩提寺の住職と打ち合わせして、今日の通夜、明日の葬儀のことを決めたので、葬儀屋さんの指示通り操り人形みたいなものです。

親戚の人達は、誰が華を飾るとか、供物をどうするとか、地元のルールで決めていきます。もう見ているしかありません。
完全に手ぶらに近い状態で帰ってきたので、昨日、近くのAOKIで買った礼服を取に行き、どうにか喪主っぽい恰好だけは整いそうです。

夕方になり、住職が来られて、お通夜のお経をあげてもらいました。
東京から妻たちも来て、どうにか家族そろって見送れそうです。
この日何をやったか、もう、全く覚えてません。
棺桶が届いて、納棺をしたことは覚えています。
色々な決め事があって、それの合間に食事をして、夜になったらこたつでごろ寝。
たまに親父の顔を見に行っては泣く。

明日が葬儀で、葬儀ということは火葬を終えるわけで、人としての形があるのもあと1日も無いわけです。
亡くなっていることは理解できても、形が無くなるのは、自分にとって本当に辛くて受け入れがたいことです。
親一人子一人なのに、地元に残れとも言わず、自由な生き方を選ばせてくれた親父でした。
単に、反発されても嫌だから、何も口出ししないでいただけかもしれません。
好きで田舎で一人で農業をやっていたんでしょうが、それもいつまでも続くものではありませんし、認知症のこともあるので、そろそろ一緒に暮らすことも考え始めていた矢先のことです。
中学を卒業してから親元を離れたので、親と暮らした時間は本当に短かったと思います。
親父も冬には毎年出稼ぎに行っていて、小学校を卒業するまでは冬の間は一緒に暮らしていなかったので余計にです。
それくらい一緒に過ごした時間が少なかったとしても、自分にとってはたった一人の身内で、たとえようがないくらい大切な人でした。

棺桶の中で寝ている親父を見ていると、これからしてあげようと思っていたことを何一つできないまま逝かれてしまったことがただ辛くて、後悔の気持ちしか湧いてきません。自分のエゴでしかありませんが、ある程度の納得感を持って送ってあげたかったのです。