それにしても怖かった。
あそこまで長くて大きい地震は生まれて初めてだよ。
いままでの経験から、もう終わるだろ、もう終わるだろって思うんだけど、いつまで経っても収束していくどころか揺れが増していく地震はホントに怖い。どんどん棚の物が落ちてきたりして恐怖心も増していくし。
ただ、会社の建物自体はそれほど高いわけじゃないんで、建物が崩れたりっていうことはないと思ってたからパニックにはならなかったけど、自宅のこととか、震源に近い実家のこととか、そっちのほうが気になった。
揺れが一旦収まってから全社員は外に避難することになって、寒空の下で安全確認が済むまで待機したんだけど、そうしている間にも揺れが来て、街灯の支柱が揺れていたり、玄関前の屋根を支えている柱も激しく揺れていて屋根が倒れてくるんじゃないかっていう心配があったりして、いつまで経っても余震が収まらなくて不安だった。駐車場のバイクが心配になって様子を見に行ったけど、これは倒れていなくてほっとした。
内部の安全確認が済んでから、最上階から徐々に戻り始めたんだけど、その直後にまた中規模の揺れがあったりして、今回のは今まで体験した地震とは全く違うなってのが感じられた。
1時間以上外にいたかもしれない。席に戻ると、今日の業務は終了になることが決定されたとの連絡があって、帰れる人から帰ることに。でも、既にこの時点で鉄道は全線運転見合わせ、本日中の運転再開の目処無しということで、会社に残るしかない人が多数。幸い、オレはバイクも無事だったし、家族のこともあったから帰ることに決めた。
念のために会社から自宅のマシンに接続してみると、自宅で一番不安定そうなメタルラックの上に乗せているマシンに接続できたんで、あまり被害がなさそうだということだけは予想できて一安心。携帯メールは妻から返事が無く、携帯も全く通じず、実家の父の安否も心配だったけど、妻からPCのメールで実家の父の安全と自宅の被害がほぼ無かったことを知らされてようやく落ち着いた。携帯のワンセグでテレビを見ると、津波と火事の被害が凄まじかった。地震大国だけに家が崩れることはごくまれになったけど、あれだけおおきな津波が来てしまうと全く手も足も出ないんだな。太平洋側で海の近くに住むことはもの凄いリスクがあるんだと感じた。
きっと道も混んでるだろうなと思いながらバイクで帰宅すると、やっぱり道は激混み。多摩川を渡らないと帰宅できないんで、端を渡るまでが一苦労。多摩川沿いを大丸の交差点に向かって走って、南部線の踏切を渡ろうとしたところ、地震とは全く関係無く、対向車の後ろから長辺30cm弱のプラスティック片みたいなのが舞い上がってきて頭に直撃!はっと気づいて頭を動かしてよけようとしたけど、完全によけるのだけは無理で当たってしまった。でも、質量がそれほどでもなかったおかげで転倒には至らず、そのまま走れた。ヘルメット様々だよ。
大丸の踏切に着いてみると、なんと、線路の上に停止せざるをえなくなった電車のために踏切は閉鎖されていて渡れず。やむなく、東長沼方面に戻ってから踏切を渡って府中街道にたどり着けた。府中街道は、聖蹟桜ヶ丘方面からの上り車線がずっと渋滞。反対向きの車線はスカスカ。空いてる向きでホント助かった。
いつもの倍ちかくの時間がかかったけど、1時間ほどで自宅に到着。自宅周辺の道も、家に帰る人達の車でかなり混雑してたな。
自宅はほぼ被害が無いってことで、停電することもなく、ほぼいつも通りの暮らしだった。念のためにメタルラックを見に行ってみたところ、いつもと比べて妙にスッキリしている。おや?と思ったら、モニターが落下していて、ビデオケーブルをちゃんとネジ止めしていたおかげで、床に落下することは免れてぶら下がっている状態だった。いや~、あぶなかった。
元々の予定では、明日、息子と甥っ子と義父の合同誕生会を妻の実家で執り行うことになっていて、コストコで食べ物を買ってから訪ねるつもりだったんだけど、コストコの駐車場のスロープが崩落してしまったことでコストコには行けなくなってしまった。あの建物、見るからにコストを削りまくっていたけど、まさか地震で壊れるほどにもろく作られていたとはね、、、アメリカクオリティって怖い。
夜中になって実家の父から電話があって、停電は続いているものの、どうにかなっているとのこと。築60年みたいな家だから、いつ崩れてもおかしくないと思っていたけど、まだまだ雪がある中で家が壊れたりしなくて良かった。余震はまだまだ続いているみたいだし、首都圏もまだまだ気が抜けない日が続くな。
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